今日の英語、そうなんやー(第3回)

今回の「そうなんや」は、冠詞についてです。冠詞は、日本人にとって難しい文法要素の一つです。『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』(Chicago Manual of Style 17th Edition)では、冠詞は制限的形容詞とされています。冠詞を「制限的形容詞(limiting adjective)」として理解すると、その仕組みが驚くほどクリアになります。
->制限的形容詞とは「certain」や「specific」など、名詞の範囲を限定してその名詞の指示対象を特定する形容詞のことです(例:a certain person「ある特定の人物」=「person」の範囲を限定、a specific problem「ある特定の問題」=「problem」の範囲を限定)。その理由は、「the」と「a/an」も名詞の指示対象を限定するからです(“the” book = 特定の1つに限定、“a/an” book = 不特定の1つに限定)。

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冠詞を形容詞ととらえるのが面白いですね!

冠詞は、無冠詞を除けば、定冠詞(the)と不定冠詞(a/an)に大別できますね?

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はい。定冠詞は、1)既知のもの・人(例えば、「The meeting was canceled.」という文では、話し手と聞き手の両方ともがその「ミーティング(meeting)」について分かっていることになります)、2)これから説明するもの・人(例えば、「The problem is this: there is not enough data.」という文では、「問題(problem)」とは何かを「:」以降で「there is not enough data(データが足りない)」であると説明しています。また、「The following items are required.」という文では、必要な「物(items)」は「以下(following)」の物であると説明しています)、そして3)重要・特異なもの・人や唯一無二のもの(例えば、「the grand prize(グランプリ・大賞は一つだけ)、the CEO(最高経営責任者は一人だけ)、the sun/moon/universe(太陽/月/宇宙は唯一無二のもの)」に対して使用されます。

不定冠詞は、1)ある種類・カテゴリーに属する不特定のもの・人(例えば、「a student at Kyoto University(一人の京大生)」)、2)(聞き手にとっての)新しい情報(もの・人など)(例えば、「I bought a new laptop yesterday」という文では、どのラップトップであるか聞き手には不明)、3)不特定な数量のもの・抽象的なもの(例えば、「a multitude」で「たくさんの」という不特定の数量の一例・一種(個別の発現・出来事)を、「a kindness」で「一つの親切な行為」というkindness(親切という抽象名詞)の一例・一種(個別の発現・出来事)を表す)、そして4)一般的なカテゴリーの一例・一種(例えば、「an interpretation of Shakespeare’s Hamlet」で「シェイクスピア『ハムレット』についての1つの解釈(シェイクスピア『ハムレット』について考えられる様々な解釈のうちの1つ)」という意味)に対して使用されますよね。

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はい。しかし、上記に示す典型的な定/不定冠詞の使用例には例外があります。それは、定冠詞も不特定のもの・人に対して使用される場合があり、逆に定冠詞も特定のもの・人に対して使用される場合があるということです。

あ、知っています!前者については、例えば、「I met a fascinating woman on the train today.(今日、電車で素晴らしいひと(女性)に会った。)」という文では、話し手にとっては「特定の知っているひと」でも、聞き手にとってはそのひとが誰であるか不明(初めて聞くひと)なので不定冠詞「a」を使用します。後者の例については、「The Italians take food very seriously.(イタリア人は、こと料理に関してはいたって真面目だ。)」という文です。この文では、特定・個別のイタリア人ではなく、イタリア人全般の話をしているので「the」を使用します。

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そうです、よくご存じですね。では、最後に冠詞の有無や位置によって同じような文言でも、その意味内容が少し違ったものになるということは知っていますか?

ちょっとよく分からないのでどういうことか説明していただけますか?

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はい、もちろんです。以下の(詳細)にて詳しく説明していますので、ご興味のある方は、以下の▶マークをクリックしてご覧ください。

詳細)冠詞の有無・位置で変化する文言内容

例えば、次のような2つの名詞(「singer and songwriter」または「sweet and sour sauce」)からなる文言では、その意味内容が冠詞の有無・位置によって変化します。「a singer and songwriter」(歌手であり作詞(作曲)家でもある(1人の)人物)または「the sweet and sour sauce」(1種類のソースで甘さと酸っぱさという2つの風味を併せ持つ)の場合(ケースA)、2つの特徴を持つ1人の人物(もしくは1つのもの)という意味になります。しかし、「a singer and a songwriter」(2人の別々の人物で、1人は歌手でもう1人は作曲・作詞家)または「the sweet and the sour sauce」(2種類のソースで、1つは甘いソースでもう1つは酸っぱいソース)の場合(ケースB)、2人の別々の人物(もしくは2つの別個のもの)という意味にとれます。

ここで、上記2つのケースA/Bでは、似たような文言が使われていますが、冠詞の有無・位置の違いによってその意味内容が違ってきます(特に、「the sweet and sour sauce」と「the sweet and the sour sauce」を比較した場合)。しかし、その違いは明確でなく曖昧です。『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』では、この曖昧さを解消する手段として、2つの特徴を持つ1人の人(もしくは1つのもの)というときは、ハイフンを使用しています(上記比較の場合、「the sweet-and-sour sauce」)。また、2人の別々の人(もしくは2つの別個のもの)というときは、"sauce"を繰り返す(上記比較の場合、「the sweet source and the sour sauce」)か、もしくは"sauce"を後ろではなく前の形容詞に付けています(上記比較の場合、「the sweet sauce and the sour」)。

ちょっと一息

このコーナーでは、アメリカ(特に、ペンシルバニア州やその周辺地域など)に関する雑学・トリビアをご紹介していきたいと思います。気分転換にお読みいただければ幸いです。

初回は、私が学生時代(York College of PA | York College of Pennsylvania在籍時)に住んでいたペンシルバニア州のヨーク郡/市(York County/City, PA)の付近にあるメイソン=ディクソン線(Mason-Dixon Line)というペンシルバニア州・デラウェア州(北部)と、メリーランド州・ウェストバージニア州(南部)との間の州境の一部を定める境界線にまつわるトリビアです。

歴史的に、南北戦争が終結し1865年にアメリカ合衆国憲法修正第13条が発効されることで米国において奴隷制度が正式に終了を迎えた。その間、公的に制度が廃止されるまで、南部から多くの黒人奴隷たちが自由を求めて北部やカナダ(大英帝国により1833年に奴隷制度廃止法が制定されていた)を目指した。そうした人たちにとって、奴隷捕獲者(slave catcher)などの追手から逃れて、このメイソン=ディクソン線という南部と北部の間の境界線を無事に越えることの意味はとてつもなく大きかった。

写真家兼執筆者であるRobb Helfric氏は次のように述べる(引用):

“While Washington County was not the original departure point for most Underground Railroad passengers; nor was Franklin County the final destination, crossing the Mason-Dixon Line was an important milestone in a quest for freedom… Maryland was the last footstep taken in bondage, and Pennsylvania the first stride into freedom.” — Robb Helfric, LOCAL HISTORY: When the Underground Railroad Crossed the Mason-Dixon Line (2023)

(訳)ほとんどの地下鉄道の「乗客ら(逃亡者)」にとって、ワシントン郡(メリーランド州)が本来の始発駅というわけでも、また、フランクリン郡(ペンシルバニア州)がその終着駅というわけでもなかった(両郡はメイソン=ディクソン線を挟んで隣接)。 だが、メイソン=ディクソン線を越えることは、自由への逃避行において極めて重要な通過目標だった。その多くが、メリーランドで“奴隷として歩んできた道に別れを告げ"、ペンシルベニアで“自由への第一歩を踏み出した”。
(出典:地域史:地下鉄道でメイソン=ディクソン線を越えたとき, 2023年11月28日)

地下鉄道」というのは、こうした自由を求めた逃亡者の手助けをした逃亡幇助網もしくは秘密逃亡支援組織・結社、または逃亡ルートそのものを指す。なぜこのようなネーミングになったかについては諸説あり、そのうちの2つほどをご紹介したい。

まず一つは、上記の記事で Robb Helfric 氏が紹介している説で、同氏は次のように述べている。

“In 1839, a newspaper reported on an escaping slave… a frustrated slave-catcher reportedly quipped: ‘There must be an underground railroad somewhere.’ That transportation reference was eventually adopted by a historic humanitarian operation.”

(訳) 1839年、一人の奴隷が自由を求めてボストン行きの列車に乗り逃亡した、との新聞報道があった。新聞で取り上げられたものの、その逃亡奴隷はその後忽然と姿を消した。これに苛立った奴隷捕獲者の一人が「どこかで地下鉄道にでも乗ったに違いない」と皮肉を言った。この「輸送機関/手段」への言及が、後に歴史的な人道的活動のネーミングとなった。
(出典:Robb Helfric, “LOCAL HISTORY: When the Underground Railroad Crossed the Mason-Dixon Line”, 2023)

少し話が逸れるが、地下鉄道や奴隷・女性解放運動に関連して、ここで二人の著名な人物をご紹介したい。一人は、Harriet Tubman氏(ハリエット・タブマン - Wikipedia)、もう一人は、Frederick Douglass氏(フレデリック・ダグラス - Wikipedia)だ。両氏ともに己の人生を大義に捧げ激動の時代を戦い抜いた。学生時代、初めて両氏の写真・肖像画像を図書館か教科書かで見たとき、脳に電気が走ったような衝撃を受けたのを今でも覚えている。以前に同じような衝撃を、幕末に己の大義・信念のために戦って散った新選組副長の土方歳三氏の写真を初めて見たときに感じた。この衝撃の理由は未だ分からないが、三者に通ずる「闘魂」を宿した風貌というかオーラに心を揺さぶられたものだと、今は解している。なお、ダグラス氏の手に汗握る逃走劇については、「Frederick Douglass Rides the Underground Railroad to Freedom - New England Historical Society」に詳しい。

話を戻して、もう一つは、ジャーナリストであるScott Shane氏が唱えているものだ。あるラジオ番組(How the Underground Railroad got its name : NPR)で、同氏は、文書としての記録を見る限り、最初にこのネーミングを使用したのはThomas Smallwoodという人物であるとした。上記のハリエット・タブマン氏およびフレドリック・ダグラス氏に比べて知名度こそかなり低い人物だが、その業績は決して両氏に見劣りしない。「歴史に忘れ去られた、名もなき英雄(forgotten, unsung heroes)」と呼ぶにふさわしい人物だ。このような「歴史に埋もれた、ほとんど無名の人」が、洋の東西を問わず、「歴史の影の立役者」として激動の時代(南北戦争期・明治維新期など)にきっと少なからず存在したのだろう。そう想像するだけでも、感無量になる。